はい。
ふと目に付いてこれを取り上げたくなったので、短記で書く。
ブログ、SNS、Steamのレビュで普段からゲームにまつわる文章を書くことが頻繁にある私だけど、ひとつだけ言っておきたいことがある。
私、名詞として「クソゲー(誉め言葉」は稀に使ったことがあるかもしれないけど、レビュー対象の形容で「クソゲー」という文言は、ここに至るまで一切使ったことがない。
実際、Steamのレビュを50本以上書いている上で、それなりに酷評をしているゲームも何本かあるけど、その中の一度として「クソゲー」という文言は使っていない筈だ。
まぁその文言以上に酷い評価をしていることがあるのは自覚してるが。
これはゲームをする上での評価でもあり、自分がゲームではなく何がしかの開発現場で開発職を経験していることもあって、開発側の苦労もある程度分かっているから安易に発せられない言葉、それが「クソゲー」という思考停止に限りなく等しい言葉だ。
同時に「課金」という言葉も安直に使わないし、「課金」という言葉をどうしても限定的に使わざるを得ない時は、まわりくどい言い訳を付けて記述する。
たとえば「世間で言われるところの~」とか「有り体に言えば~」の後に「課金」という文言を記述しているときは、嘲笑に近い含意があることを理解されたい。
使う前に意味を知れ。
まずそこだ。
脱線、クソゲーという言葉に戻る。
「クソゲー」という言葉をレビュ中に用いることは、もうその時点でレビュワとしての敗北を意味していると考えている。
それ以外に適切な表現ができない、あるいはそこまで考える知能が備わっていない、あるいは妄信的にただ自分を優位に置いて何目線だよって存在が使うための言葉だ。
考えなくても使える一番日常頻度が高い言葉に「やばい」というのがある。
これは普通にリアクションを返す時に非常に便利な言葉なので、無理してそんな言葉を使うなとは言えない。
ただし、レビュや何かしらの論評、論述は別で、「やばい」で全て片付けてしまったら、何がやばいのか伝わらない。
それと同じレベルで「クソゲー」を使っていては、論述としての水準が下がる一方だし、自分にも伝えたい側≒「第三者の読者、またはゲームの制作側」にも何も良い影響は与えない。
言葉を文章化するときは、いつだって「自分内思考実験」だ。
他者に言葉で伝えるために自分ならどう形容するのか、どう表現するのかを常に考える。
それを「クソゲー」で片付けてしまっては、自分の思考レベルの低さを露呈する。
故に自らを貶めているに他ならないわけだ。
まぁ、人生なんてクソゲーなわけだけどさ。(最低のオチ